学術的背景

21世紀の今、アメリカという主体の形成過程をたどる言説として、これまでのアメリカ研究にはなかった枠組みが導入されつつある。アメリカと非アメリカの境界の規定法について、地球規模の枠組の中で見直す動きである。本研究では、アメリカ合衆国という空間を囲い込もうとする内包的動機と並行して、西半球的主体としての「アメリカ」が地球規模に拡大しようとする拡張のダイナミズムの両方を追い、アメリカが時代の要請によって自己と他者とを定義してきた過程を検証する。こうした議論のなかで、アメリカ的自己決定・自己拡張のレトリックとして機能してきたのがマニフェスト・デスティニーである。1845年、ジョン・オサリバンが『デモクラティック・レビュー』誌にて唱えて以来、この概念はアメリカ国家の歴史的展開において、アメリカを牽引する力を常に発揮してきた。当初は19世紀中葉の領土拡張主義を正当化するためのレトリックとして唱えられたわけであるが、世紀末においてはハワイ併合を後押しし、米西戦争ではキューバからフィリピンへとアメリカが拡大し帝国化していくための概念として機能したことが指摘されている。その後1930年代の「善隣政策」と名をかえた新植民地主義による南北アメリカの緊張関係の折や、21世紀の現在も、オバマの選挙戦でこの言葉をめぐって議論が交わされるなど、アメリカのグローバリズムはこの概念を抜きに語れない。

本研究は、マニフェスト・デスティニーというレトリックの国際政治における意義を歴史的にたどると同時に、その心理的・精神的効果がアメリカ国民の情動を操作するナラティヴとしていかに機能してきているかに焦点をあて、地球規模でのアメリカの位置を読み直すことを目指している。その際、「半球思考」「惑星思考」という近年の批評動向をふまえ、アメリカ研究という地域研究の枠を大陸間的視野に広げ、環大西洋的・環太平洋的の両面から南北アメリカ大陸の歴史的意義を探ろうと考えている。

本研究代表者および研究分担者は科研費基盤(B)「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバルコミュニティの未来」(2010年4月開始)において共同研究を行っている。本年は4年の研究期間の最終年度にあたっており、この間、19世紀初頭にアメリカの外交政策を示したとされるモンロー・ドクトリンの言説がアメリカ国家の空間的・時間的位相を形成してきた歴史的経緯を検証した。研究成果は、2013年5月日本英文学会シンポジウム「21世紀世界における惑星的想像力」(司会・講師下河辺、レスポンダント巽)、海外学会での各自の研究発表(Ninth International Melville Conference@ Washington DC, June 2013 下河辺、巽、舌津)、論文・著書(「モンロー大統領は『ドクトリン』を提示したのだろうか?」下河辺、『モダニズムの惑星』巽)等として発表している。さらに、研究代表者は『アメリカン・テロル』(2009年6月)『アメリカン・ヴァイオレンス』(2013年5月)のアンソロジーの編著者として、別の研究プロジェクト(成蹊大学アジア太平洋研究センター)で一連のテーマに関連する研究にたずさわり成果を残しており、研究分担者3人も2冊の本に寄稿している。

今回の申請は、4人の共同研究によるこうした成果をふまえ、さらに二つの点において発展させようとするものである。第一は、マニフェスト・デスティニーが国民の感情に直接訴える効果を発揮するものであったとの前提から、情動という概念を本研究の一つの柱として設定する予定でである。モンロー・ドクトリンが政治文書として知的な読み替えによってその行為遂行的効果を発揮したのに比べ、20年後に文藝雑誌で唱えられたもう一つのMDは、愛国心であれ、男性的欲望であれ、共同体的共感であれ、信仰心による神への問いかけであれ、他者の心に反応を引き起こすという意味できわめてaffective(情動的)な概念であると予測されるからである。第二には、前基盤(B)プロジェクトにおいて、環大西洋的視座からアメリカの内包運動(ことに南米大陸から南極へ向かうアメリカ的欲望)について検証したことをふまえ、本研究では南北アメリカ大陸の西側へも研究対象をひろげ、環太平洋的規模におけるマニフェスト・デスティニー効果・行為を研究対象とすることである。

西半球の代表として自らを規定しようとするアメリカにとって、東半球にはヨーロッパという古い他者がおり、アジアという新しい他者があり、そしてその先にはイスラム文化圏という未知の他者がいることになる。アメリカ的空間に囲いこもうとする運動がモンロー・ドクトリンの効果によって推進されてきたとすれば、排除されていてもいずれその中に包含されるべき他者に対する呼びかけのレトリックとしてのマニフェスト・デスティニーの情動的効果を検証することで、新しい知見が開けるはずである。

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