2016年度第1回研究会:ハーマン・メルヴィルの「虚無の力」:『ピエール』にみるアメリカ民主主義の破壊と再創造

主催:科学研究費・基盤研究(B)「マニフェスト・デスティニーの情動的効果と21世紀惑星的想像力」

発表者:田ノ口正悟

2016年12月20日(火)18:30-20:30

成蹊大学10号館2階・大会議室

発表者紹介

慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程在籍 同義塾大学海外派遣交換留学生としてカリフォルニア大学サンタバーバラ校大学院英文科留学(2015~2016)日本学術振興会特別研究員(2013~2015)日本アメリカ文学会第7回新人賞受賞(対象論文“A Dead Author to Be Resurrected: The Ambiguity of American Democracy in Herman Melville’s Pierre”がThe Journal of the American Literature Society of Japan No.15 (2016)に掲載予定)。

本基盤研究(B)は、マニフェスト・デスティニーのレトリックの国際政治における意義を歴史的にたどると同時に、その心理的・精神的効果がアメリカ国民の情動を操作するナラティヴとしていかに機能しているかに焦点をあてて研究するプロジェクトである。地球規模でアメリカの位置を読み直すことを目指して研究会を重ねてきた。今回は、現在、博士号請求論文執筆中の田ノ口正悟氏に研究発表をしていただく。

「ホーソーンとその苔」(1850)において、メルヴィルは師として敬愛するホーソーンの才能をその「闇の力」(“the power of blackness”)に見出した。美しい世界を描きながらも、ホーソーンの物語は人間が「生来持ち合わせている堕落と原罪」というカルヴィン主義的な闇を内包するからこそ唯一無二なのである。しかし、翌年に出版された『白鯨』において、メルヴィルはホーソーンへの憧れを屈折した形で表現する。第36章「後甲板」において、エイハブ船長は世界を闇から世界支配する存在に立ち至るため、モービー・ディックという「仮面」を打ち破るように船員を鼓舞するが、一方で、その背後には「何もないかもしれない」とも発言している。ここに作家のニヒリズムを見ることはたやすい。

しかし、虚無への傾倒こそが、キリスト教や民主主義といったアメリカの根本理念が抱える問題点を明らかにしつつ、同時に、それらを再構築するようなメルヴィル作品の原動力になっていると考えることはできないだろうか。わたしの博士論文では、メルヴィルが描く「虚無の力」(“the power of nothingness”) の考察を主眼におくが、その一例を示すため、本発表では第七長編『ピエール』(1852)を取り上げる。この作品についての従来の批評は、そのニヒリスティックな面をたびたび強調してきた。しかし、“authorship”の観点から再読することで、本作品の悲観的な顛末の両義性が露呈するのも見逃せない。一方ではピエールの作家としての死にアメリカ民主主義への批判が、そして他方では、イザベルという隠れた作家の暗躍にその再生が示されているからである。

研究代表者:下河辺美知子(成蹊大学)

研究分担者:巽孝之(慶應義塾大学)・舌津智之(立教大学)・日比野啓(成蹊大学)

 

※どなたも歓迎ですが、会場整理の都合上、hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpに前日までにご連絡ください。

※また、博士論文執筆を予定している方は、当日午後5時半より懇談会を持ちたいと思います。お弁当をお出ししますので、参加希望の方は12月15日23時59分までにこのアドレスに申し込んでください。