主催:科学研究費・基盤研究(B)「マニフェスト・デスティニーの情動的効果と21世紀惑星的想像力」
講師:古井義昭(青山学院大学)
2017年7月28日(金)18:30-20:30 成蹊大学10号館2階・第二会議室
講師紹介
青山学院大学文学部准教授。エモリー大学英文科博士課程修了(Ph.D.)。専門は19世紀アメリカ文学。共著に『モンロー・ドクトリンの半球分割』(2016、彩流社)。論文に “From the Private to the Public: Solitude in Brockden Brown’s Wieland.” Studies in English Literature 56 (2015、日本英文学会優秀論文賞)、 “Networked Solitude: Walden, or Life in Modern Communications.” Texas Studies in Literature and Language 58.3 (2016) など。
本基盤研究(B)は、マニフェスト・デスティニーのレトリックの国際政治における意義を歴史的にたどると同時に、その心理的・精神的効果がアメリカ国民の情動を操作するナラティヴとしていかに機能しているかに焦点をあて、地球規模でのアメリカの位置を読み直すことを目指している。
十九世紀中葉のアメリカ文学には、ソロー、ディキンソン、バートルビーなど「孤独」を体現した作家や登場人物が多い。その一方、当時のアメリカは「コミュニケーション革命」の時代を迎え、「接続」が国家的な理想として追求されていた。郵便システム、交通、電信などのコミュニケーション技術の発達により、十九世紀中葉のアメリカはかつてないほどのメディア環境を享受したのである。接続が金科玉条となった時代に生きたアメリカ作家たちは、一体どのような価値と意味を孤独に見出したのだろうか。
上記の問題意識を念頭に、本発表では「接続の時代における孤独」という逆説について考察する。具体的にはハーマン・メルヴィル晩年の詩集 John Marr and Other Sailors (1888) を取り上げ、とくに表題作 “John Marr” の読解を行う。この作品の舞台は、「マニフェスト・デスティニー」の大義のもとに西漸運動に突き進んでいた時代における開拓地である。元水夫の開拓者ジョン・マーは、水夫時代の追憶に耳を傾けてくれる友人がまわりに誰もおらず、まさに孤独にうちひしがれている。本発表では、この詩集をメルヴィル作品におけるデッド・レター表象の系譜のなかに位置付けることを通じて、ジョン・マーの、さらには晩年のメルヴィルの孤独について考察してみたい。
※本発表は刊行済みの拙論、“Writing a Durable Mark: A Community of Isolatoes in Melville’s John Marr and Other Sailors.” Leviathan: A Journal of Melville Studies 19.2 (2017) に基づくことをお断りしておく。
研究代表者:下河辺美知子(成蹊大学)
研究分担者:巽孝之(慶應義塾大学)・舌津智之(立教大学)・日比野啓(成蹊大学)
どなたも歓迎ですが、会場整理の都合上、hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpに前日までにご連絡ください。